代表挨拶

広い広~い、インターネットの世界。

検索しても、山ほどあるサイト!サイト!サイト・・・

どこを見ていいのか、わかりません。

そんな中で、このサイトに偶然にもたどり着いたこと。

これこそ、

まさに奇跡!

奇跡!

奇跡だぁ!

まずは、この奇跡の出会いに感謝いたします。

基本理念です。

「お話はなんでも聞きます!」

「良き相談相手になります!」

バックはもちろん、洋服、家具、ベビーカー、車のシートから

古タイヤ、消防用のホースからなんとべニア板まで!

なんでも縫える!

得意なものもや、苦手なもの

好きなもの、嫌いなもの、

なんでもこい!

ポリシーは

「鉄以外は縫う」

です!!!

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・・・

まずはご挨拶。

50代~60代以上で高校野球ファンの方は知ってますかね?

千葉県の高校野球界では少しは名が売れた

「千葉県立銚子商業高校」

あの「銚子商」でさらに!野球部の出身なのです。

先輩をはじめプロに進んだ選手もいた千葉の名門です。

最近の千葉県の高校野球界も私立高校の台頭により

一時期は公立校が低迷していました。

ここ数年、習志野をはじめ公立高校の復活のきざしがあります。

たぶん母校が甲子園で見れる日も

そう遠くはないと、、、、

期待してます。。

 

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・・・

 

さて、仕事に戻ります。

1枚の生地を加工して出来るもの・・・

これは無限にありますよねぇ。

だから縫製なんか簡単!

誰でもできる~と思いきや

しかし、誰にでもできないんです。

以外に奥が深~い業界なのです。

リュック、バックパック、ディパック、

ショルダーバック、メッセンジャーバック、トートバッグ

当社は、縫製雑貨品の総合製造工場です。

基本は、なんといっても

まず、私が1本作ります。

私がミシンに乗って縫製するのです!

だから、「良い!悪い!」が明確!

どんなお客様のニーズにも

答えられるわけです。

3大ポリシー!

電話では即答!→(私が出ます!)

FAXはFAXで!→(私が書きます!)

メールの返事はメールで!→(私が返信します!)

「自分のオリジナルの商品を作りたい!」

「ネットショップを開店したいんだけど・・・。」

「アイデアはあるけど・・・製品化ができない。」

「作ってみたけど、縫製は素人でわからない!」

などなど。。

縫製の事ならなんでも聞いてみてください。

「それは・・・えっと・・・」とか

「ちょっと・・・わかりません」とか

「担当がいないので・・・」とかとか

返事にならないような返事は大嫌い!!

基本、電話は私が出ます!

呼びだし回数が長いのはご了承ください。

手が離せない時もあります。

基本、電話まではダッシュです。

さらに親切、丁寧な受け答えを目指してます。

録音はしてませんから安心してください。

「社長さんはいらっしゃいますか?」

「今、出てます!」

「ではまた後ほど・・・」

「えっ!今電話に出てますよ」

そうなんです!私が出ます。

しかしいきなり電話だと苦手な方。

メールでもいいです。

info@asada-co.jp

メールの返事も私が書きます!

んで、私が1本作ります。

だから完全に即答!

できることはできる!

→ 「こうしたら出来ます!」

できないことはできない!

→ 「それは・・・無理ですね!」

超、わかりやすい!

良い面と悪い面があるかもしれませんが

問題ないです!

「めんどくさいなぁ~」なんて言いません。

朝は8時から

夜は7時まで!営業中。

日曜以外は完全営業!

土曜もやってます。

しか~し!

昼の12時から13時までは電話は出られません!

(食事中です)

電話でもいいです!

0479-48-2871

メールでもいいです。

info@asada-co.jp

FAXでもいいですよ!末尾が3

0479-48-2873

以上 よろしくお願いいたします。

 

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さてさて、ここから長くなります。

面倒な方は飛ばしても結構です。

 

さて私がこの「朝田オリジナル」を始めた時は、

男の厄年ど真ん中の42歳の時です。

振りかえれば、今まで生きてきた人生で

最悪の時でした。

<発病する半年前>

疲れがとれず、十分睡眠はとっているのですが

朝でも昼でも急な睡魔に襲われるようになりました。

頭がとても重く、肩も常に張っていました。

しかし、まだこの頃は

「最近、疲れてるのかぁ」

「俺も年かなぁ~」

くらいにしか思いませんでした。

<発病する3か月前>

単純なミスが続きます。

たびたびの失敗。

縫製仕様の聞き間違え?ミス!

カートン入数のミス!送り先間違え、などなど。

取引先にもご迷惑をかけたりしました。

この頃は

直前にやった行動を忘れてしまい

体はもちろん、記憶力が衰えた気がしてました。

さらに急に目も悪くなった気がしてた頃です。

もともと健康だった私は

「若いころ目がよかった反動で、早く老眼が来たな?」

位に考えてました。

が、時々

頭が痛いのはかなり気になりだしました

<発病する1か月前>

社員から

「社長、なんか最近、おかしいですよ!」

「疲れているようですから、少し休んほうがいいかも?」

「なにかの病気かもしれないから、

よく検査した方がいいですよ!」

と言われるようになりました。

さすがにこの頃は

自分でも体調の異変を完全に感じはじめました。

そして自ら検査のため自分で

人生初の「人間ドック」を予約しました

その矢先に、、、

<発病の前日>

平成16年の瀬 12月18日。

都内の取引先の忘年会に招待されました。

毎年の恒例で地元同業者数名で参加のため

私の運転で東京まで行きました。

その忘年会の帰り道。

慣れているはずの道に迷ってしまったのです。

というか道がまるでわからなくなってしまったのです。

通常だと約1時間半~2時間の道のりに

6時間以上もかかってしまいました。

着いたのは朝の8時。

その間の運転していた記憶が全くないのです。

やっとの思いで家につき

とりあえずお風呂にはいりました。

そしたらその後、

何時間もお風呂から上がってこなかったそうです。

このあたりのことは覚えてません。

そのままダウン・・・

急きょ地元の病院で診察。

小さいころからの主治医です。

先生もかなりの異変に気が付き

「こりゃ、総合病院に行って精密検査した方がいいな。」

「頭に中に異常が起きてる可能性が高いから。」

と・・・

そのまま総合病院へ

何時間もかかり、CT検査、MRI検査・・・

そしてわかった病名は

「脳腫瘍」

「記憶をする神経を圧迫するように

腫瘍ができていています。

すでにピンポン玉くらいの大きさがあり

その中に膿が溜まっています。

その重さにより神経を圧迫して

記憶の障害をおこしている状態です。

このままだと記憶の障害や手足にも障害が残る可能性が

ありますので早急な手術をお勧めいたします。」

との見解。

言われた家族は迷わずに手術を選択。

緊急手術・・・

約6時間・・・

早期の発見と腫瘍が良性だったため手術は一応成功。

しかし緊急だったため十分な検査もできなかったため

腫瘍の一部は摘出できなかったようのです。

今後の生活に不安を感じながらの退院。

<さらに半年後>

半年後。MRIの検査。

結果。

やはり残った腫瘍から再発!

もう地元の総合病院では手に負えません。

地元、主治医の紹介により

東京大学付属病院に。

約2ヶ月間入院待たされました。

さらに、入院してから検査、検査、検査の2週間。

この手術を待ってる間が一番嫌でした。

救いは夏の高校野球をずっと見れたこと。

この年、母校の銚子商業が甲子園に出場してたので

なおさらでした。

1回戦から全試合を見てたのですが

なんという偶然でしょう!

母校の試合は手術の日と重なりました。

<そして前日の夜>

担当医から家族が呼ばれて手術の説明がありました。

頭の模型を使い丁寧にわかりやすく説明してくれました。

「今回は腫瘍の場所も悪くはないので

比較的安全な手術です。検討の結果

前回と同じ場所から脳に入ります。

確率的には90%以上です。

しかしあとの10%は、なんらかの後遺症や

障害が出る可能性があります。」

人はこんな時って成功確率の90%より

残りの10%をあれこれあれこれ考えるものなのですね。

前日に説明をするというのは

やはり患者さんが色々余計なこと考えるのを軽減する

からなのでしょうか?

<そして当日>

手術用の服に着替えてストレッチャーに乗せられると

やはり緊張します。

何も考えないは絶対うそになります。

頭の手術なので当然、全身麻酔です。

「10.9.8.7・・・と数えますので

もし0まで数えるのが聞こえましたら効いてない

という事なので手を上げてください。」

と麻酔医からの説明。

「いきます。10.9・・・」

こてっ。。。オイオイ!

あとは全く何も覚えてません。

///

そして6時間の大手術。

手術は無事成功しました。

そして麻酔から覚めた時、なんと

手足が動くかどうか自分で確認してたようです。

自分ではよく覚えていないので

これぞ「無意識」です。

そして担当医から

かけてもらった第一声。

忘れません!

「朝田さん!銚子商業が勝ちましたよ!」

私の第一声

「ありがとうございます。で、何対何でしたか?」

担当医
「えっ・・・そこまでは・・・」

そんなわけで、この間、約1年間は

仕事どころではありませんでした。

その退院後に0から始めたのが

「朝田オリジナル」です。

野球部で人一倍健康だったの私が脳の病気になり、

そして一度は何もできない状態を経験した人生。

今、怖いものはないです。

生きてることだけでいいんです。丸儲けです。

やはり人は健康なのが一番。

よって生まれた会社ポリシー

「出来るものはなんでもチャレンジします」

「縫える物は、やってみます。」

「とにかくやってみます。」

まさに

「鉄以外は縫う!」です。

そういう姿勢で日々対応してます。

何かをしなくちゃ何も始まらない。

素敵な出会いをこころよりお待ちしてます。

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